嵐の前の静けさ?
2024年8月30日金曜日
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2024年8月24日土曜日
2024年8月23日金曜日
羊
キリスト教の聖書では「羊:sheep」「子羊:lamb」、それぞれがたとえるものを区別しているのではなかろうか。
たとえば、旧約の方だとイザヤ書53.6-7:
われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く子羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。(以下日本語訳は日本聖書協会、1955年改訳版)
All we like sheepe haue gone astray: we haue turned euery one to his owne way, and the Lord hath layd on him the iniquitie of vs all.He was oppressed, and he was afflicted, yet he opened not his mouth: he is brought as a lambe to the slaughter, and as a sheepe before her shearers is dumme, so he openeth not his mouth.(英語訳は1611 King James version:欽定訳)
新約の方だと、ヨハネによる福音書1.29:
ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。……
The next day, Iohn seeth Iesus comming vnto him, and saith, Behold the Lambe of God, which taketh away the sinne of the world.
コリント人への第一の手紙5.7
……わたしたちの過越の子羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
. . . . . . For euen Christ our Passeouer is sacrificed for vs.(欽定訳ではたとえの表現をしていない)
「子羊」は人類の罪を償うために自らを犠牲とした救世主=イエスを表すのに使われているようだ。この用法を「神の子羊:Agnus Dei」」と呼ぶらしく、agnusはラテン語でも羊の意味である(deiは神deusの所有格)。
そして、「迷える羊:stray sheep」は先のイザヤ書53.6でたとえられている「われわれ(罪人=人類)」を指すのだろう。53.7では救世主を指すのだけれど。
なお、「lost sheep」というのもある。ルカによる福音書15.1-7などに出てくる。ここでも「羊」は「救われる対象=人類」である。
☆我唔知不過 :-)
2024年8月22日木曜日
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2024年8月4日日曜日
仙その3
片平キャンパスには魯迅が学んだ木造階段教室が残っている。東北大学出版会の事務所も同時代の木造。変わるもの変わらないもの、それぞれだな。
秋保てはツクツクホウシとミンミンゼミ。有馬より季節がちょっと早いかも。
ところで、定禅寺通りの欅並木は戦災復興で植えられたもの。もともとは狭い通りだったので、欅の地下には住宅の基礎などが残っている。そのため、山中とは異なり主根がまっすぐ深く伸びられず横に広がっている。並木を守っていくのは今後もなかなかの労力が必要になりそうだ。
2024年8月3日土曜日
仙その2
旧生物学教室の建物は健在だった。もっとも、私たちの入学の10何年か前に理学部は青葉山に移転していて、ここは伝説の場所だったのだが。
いまは放送大学が使っていて少々小綺麗になりすぎている。
夕方、待ち合わせ場所のベンチに師匠と私が並んで座って数分間、お互いに気づかなかった。なにしろ卒業以来、会ってなかったのだ。
ミズアオイなど雑草として駆除されてきた植物と共存する稲作や、けやき並木の状況など、いろいろ聞けた。稲作については歴史経緯を知るために古文書も読んでいるとのことで、漢典やCHISEを使っての漢字検索のやり方を話したら喜ばれた。
2024年8月2日金曜日
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