2025年8月28日木曜日

閾

制度上の高齢者になってしまった。チッ。

2025年8月27日水曜日

拾


先週、水曜日にちょっと出かけた。ここのコロナを持って帰ってしまったかな。

左奥の白い巨塔の方へ行ってきたのだが。

2025年8月26日火曜日

煮


暑さには熱さで対抗だ……ではなくて、業を煮やしてiPhoneのキーボードをATOKに変えた。

入力してもいない仮名列を勝手に作ることはない。余分な読点を差し挟んでくることもない。

こういう普通さは、もはや使用料を払わないと得られなくなったのだな。

2025年8月25日月曜日

冠

この夏、二つのコロナがやってた。

土曜の夕方から熱っぽいなと思ったら、どんどん熱が上がって日曜夕方には38.8になった。

けさは平熱に戻った。近くの医院で診てもらったら、案の定、コロナだった。

まだだるくて痰も絡むけど、もうひとつのコロナが頑張ってくれている。ことし買ったクーラーがコロナ製なのだ。老舗の家電メーカーである。

2025年8月21日木曜日

三其二



けさは月が下がって月金木。

2025年8月20日水曜日

三



月木金が集まった。左右の星はなんだろう?

(経堂内……もとい……鏡胴内反射による虚像だな。きっと。)

2025年8月18日月曜日

章



どこに貼ろうかね。

2025年8月13日水曜日

送其三

相次いで逝ったふたりの叔母は、なんと同い年だった。此岸では我が家の冠婚葬祭ぐらいでしか接点がなかったと思うけど、彼岸行きの出発ロビーで、「もしかして?」「あら」……なんてやっているだろうか。

2025年8月11日月曜日

送其二

叔母がもうひとり亡くなった。こんどは父の弟(10年程前に亡くなっている)の奥さんである。

老衰で、東京から駆けつけたいとこたちに見守られて亡くなったようだ。

私が子どもの頃は、いとこたちにキリッと指示をするおっかない叔母さんだったし、父や他の叔父たちからも少々煙たがられていたが、晩年は電話でもよく話のできるおしゃべりなオバサマだった。

あす、西宮北口駅近くの会館で告別式。

2025年8月8日金曜日

送

お見送りである。信仰が不明なので無宗教で。

叔母が亡くなった。熱中症と思われる。生協の宅配弁当が滞留して発見された。叔父と二人暮らしだったのだが、叔父は認知症らしく異常に気づかなかった。

叔父の姉の子どもである私の弟がほとんど唯一の身寄りらしく、私たち兄弟でお見送りすることになる。私も中学のころまでうちに泊めてもらったりしていた。懐かしい人なのだ。

叔母は戦中の長崎で生まれている。むこうの親族についてはさっぱりわからない。明日、原爆被爆の日に告別式を行うことになるとは。

2025年8月7日木曜日

続


雨季に入ったかな。いや、蒸し器に入るのか。

そういえば、立秋だ。

2025年8月6日水曜日

蟹


自転車のハンドルを新調した。蟹爪型、ブルホーンの亜種である。上り坂で力を込めやすいのだ。それに幅が今までより20センチぐらい短いので、玄関がちょっと広くなった。

2025年8月4日月曜日

移


クサギ(Clerodendrum trichotomum ver. trichotomum)が咲いていた。蕾も花も実も可愛らしいのだが、「臭木」という可哀想な名前をつけられている。明治の植物学界隈が男性に占拠されていたためであろう。

リンネ以来の形態による分類でクサギは「クマツヅラ科」に入れられていたが、DNA解析による現代の分類では「シソ科」に移されている。へー、これが紫蘇か〜。

2025年8月3日日曜日

拳


暑さなんぞ知ったことかとこぶしを握りしめるのだ。

2025年8月1日金曜日

綻


『こちらあみ子』の原作を近所の本屋で見かけたので読んでみた。ちくま文庫に入っている。映画とは印象が違うのかもしれない。

悲劇はあみ子が引き起こしているのではない。社会がこの家族のところで綻びた。綻びはどこにでも起こりそうだけれど、ほんの少し弱かったこの家族のところで綻びたのだ。あみ子はそこでほかの糸とのつながりを失った糸の一本だ。

物語はあみ子の視点で書かれているから、あみ子が分かることしか書かれていない。

あみ子を発達・学習障害者としてとらえるなら、その障害を引き起こした要因は物語の日々が始まる以前にこの家族がみまわれた不幸にあるのだろう。

母の精神の急激な悪化も、あみ子がつくった「弟のお墓」がきっかけとはいえ、長雨で緩んだ表土の崩落のように、それまでに耐えてきた負荷がほんとうの要因ではなかろうか。書かれてはいないけれど。

兄がぐれた事情も書かれてはいない。(兄が巣ごと卵を棄ててしまうは、何かの象徴かもしれない。)

父についてもよくわからない。

書かれていないことばかりだし、無垢な心を慈しむものでもない。「感情のざらつき」はこの世界を変える要因になれるかもしれない。



救いようのない物語ではない。構成も美しい。