2025年8月11日月曜日

送其二

叔母がもうひとり亡くなった。こんどは父の弟(10年程前に亡くなっている)の奥さんである。

老衰で、東京から駆けつけたいとこたちに見守られて亡くなったようだ。

私が子どもの頃は、いとこたちにキリッと指示をするおっかない叔母さんだったし、父や他の叔父たちからも少々煙たがられていたが、晩年は電話でもよく話のできるおしゃべりなオバサマだった。

あす、西宮北口駅近くの会館で告別式。

2025年8月8日金曜日

お見送りである。信仰が不明なので無宗教で。

叔母が亡くなった。熱中症と思われる。生協の宅配弁当が滞留して発見された。叔父と二人暮らしだったのだが、叔父は認知症らしく異常に気づかなかった。

叔父の姉の子どもである私の弟がほとんど唯一の身寄りらしく、私たち兄弟でお見送りすることになる。私も中学のころまでうちに泊めてもらったりしていた。懐かしい人なのだ。

叔母は戦中の長崎で生まれている。むこうの親族についてはさっぱりわからない。明日、原爆被爆の日に告別式を行うことになるとは。

2025年8月7日木曜日


雨季に入ったかな。いや、蒸し器に入るのか。

そういえば、立秋だ。

2025年8月6日水曜日


自転車のハンドルを新調した。蟹爪型、ブルホーンの亜種である。上り坂で力を込めやすいのだ。それに幅が今までより20センチぐらい短いので、玄関がちょっと広くなった。

2025年8月4日月曜日


クサギ(Clerodendrum trichotomum ver. trichotomum)が咲いていた。蕾も花も実も可愛らしいのだが、「臭木」という可哀想な名前をつけられている。明治の植物学界隈が男性に占拠されていたためであろう。

リンネ以来の形態による分類でクサギは「クマツヅラ科」に入れられていたが、DNA解析による現代の分類では「シソ科」に移されている。へー、これが紫蘇か〜。

2025年8月3日日曜日


暑さなんぞ知ったことかとこぶしを握りしめるのだ。

2025年8月1日金曜日


『こちらあみ子』の原作を近所の本屋で見かけたので読んでみた。ちくま文庫に入っている。映画とは印象が違うのかもしれない。

悲劇はあみ子が引き起こしているのではない。社会がこの家族のところで綻びた。綻びはどこにでも起こりそうだけれど、ほんの少し弱かったこの家族のところで綻びたのだ。あみ子はそこでほかの糸とのつながりを失った糸の一本だ。

物語はあみ子の視点で書かれているから、あみ子が分かることしか書かれていない。

あみ子を発達・学習障害者としてとらえるなら、その障害を引き起こした要因は物語の日々が始まる以前にこの家族がみまわれた不幸にあるのだろう。

母の精神の急激な悪化も、あみ子がつくった「弟のお墓」がきっかけとはいえ、長雨で緩んだ表土の崩落のように、それまでに耐えてきた負荷がほんとうの要因ではなかろうか。書かれてはいないけれど。

兄がぐれた事情も書かれてはいない。(兄が巣ごと卵を棄ててしまうは、何かの象徴かもしれない。)

父についてもよくわからない。

書かれていないことばかりだし、無垢な心を慈しむものでもない。「感情のざらつき」はこの世界を変える要因になれるかもしれない。



救いようのない物語ではない。構成も美しい。